- はじめに
- 喪失のプロセス
- 死の恐怖観念(幼少期/キョンシーごっこ)
- 葬るということ (黄泉返り/葬儀の意味/葬儀の種類)
- いまどきの屍体 (エンバーミング/プラスティネーション/自己標本)
- その先へ
- 参考文献
はじめに
去年の夏休み、祖母が亡くなった。膵臓ガンだった。自分のなかの小さな死というか、つまり喪失感を味わった。こんなに死について考えるのははじめてだった。
わたしは展覧会を企画するサークルに所属している。去年から「庭」をテーマに勉強会と計画を進めている。Art Dounerグループ展「雑草の庭」は1999年3月6〜7日 渋谷「space
EDGE」で行われる。いいタイミングで、と言ったらおかしいかもしれないが「雑草の庭」と「死」がわたしの中でリンクした。このテキストはその制作へ向けて書かれたものである。
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▼喪失のプロセス
家族・友だち・恋人の屍体をみたあとに わたしたちは 何をおもい 何を感じるのか。そして そこから どんな言葉が見えてくるのだろう。
「死」という別離の体験による心の経過 そして その体験に対する個々の対処法の流れは主に下記の3段階に分けられる。
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2.対象喪失反応
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対象喪失直後のパニック様や反応のこと。
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3.喪の仕事
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対象喪失反応に時間をかけて対処していく心のプロセス、
喪失からの精神的回復・再生するための手段。
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【1喪失】
喪失には大きく別けて2つあり、それは内面的(精神的)なものの喪失と、外面的(物質的)なものの喪失である。たとえば前者「内面的対象喪失」には”少女”から”大人”へと成長する過程での喪失などであり、後者「外面的対象喪失」はヒトをふくむ生物の死などである。
今回は後者「外面的対象喪失」にテーマを絞ってかんがえていくことにする。
【2対象喪失反応】
喪失の後に現われるのが この「対象喪失反応」。つまり対象喪失直後のパニック様や反応のこと。これはほんとうに個人差があるのだろう。わたしの場合、身内の死は19才で体験。ある程度の思考が固まった時期に直面する死のダメージは、思いのほか大きくかんじるのではなかろうか。身内の死ではなくても、幼少の子どもにとっての対象喪失反応とはどのようなものなのか、後にゆるく触れることにする。
【3喪の仕事 -mourning work-】
「喪の仕事」とは対象喪失反応に時間をかけて対処していく心のプロセスのことをいう。それには喪失からの精神的回復・再生するための手段も含まれており、察するところの葬儀・弔いがこれに相当すると言えよう。ただし「喪の仕事」は穏やかなステップの後に行われるものである。現にわたしがそうであったように、現在の葬儀は身内にとっては慌ただしく行われる葬儀の対応に追われるばかりで、先に述べた「対象喪失反応」とこの「喪の仕事」が逆転、もしくは同時期に重なってしまうケースがほとんどであろう。葬儀の種類については後に述べることにする。
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▼死の恐怖観念
死とは古代から最もありふれた現象でありながら、人間の不安の根源に巣喰う謎であった。なぜ死に対する恐怖観念が生まれるのだろう。人は死それ自体を経験することが不可能だからであろうか。わたしたちは生きているとき、死を経験することがない。かといって死んでしまえば 経験の座であるわたしたち自身が消失してしまう。
ソクラテスの哲学は永遠なるものへの憧れと、死は肉体と魂の単なる分離にすぎないという思想をもっていた。死は喜ばしい出来事なのであると。なぜなら魂は死によって肉体という枠から離れ、よりいっそう純粋な自分自身になることができると。
誤った死刑判決に従容として従い、自ら毒をあおったソクラテスは「哲学は死の練習である」という言葉を残した。このように哲学者が死について思考するのも「死=恐怖」であることを前提として認めていることの現れなのであろう。
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幼少期
宗教観や生まれた環境によって、死に対する観念は人により様々であろう。 しかし、まだ固定観念の固まらない子供までもが、誰から教えられたのわけでもなく死を恐怖の対象としてみることが多い。それはこの世に生まれた限り「生きる」ことを命じられるわたしたちへの、生命維持機能によるものなのか。
人が死を恐れるのは、子どもが暗闇を恐れるのと同じ理由からである。
(ベーコン『学問の進歩』)
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【〜3歳】
3歳までの幼児は単に”別れる”ということにしか関心はないという。例えば小鳥が猫に食われるところを目撃したとき、自分の身体が無事であることに最大の関心があるため、死に対する恐怖観はない。死というものを秋に地へ埋められた球根が翌年の春に芽を出してくるような一時的なものとして映っているようだ。
【5歳〜】
5歳以降になると死はしばしば擬人化され、人々をさらっていってしまうお化けのようなものととらえられる。まだまだ死というものが外部世界からの干渉としか見えていない。 よって幼少の子どものよくやる昆虫類の羽や足をちぎったり、殺したりする行為は、対象の好奇心にのみ起因している場合が多い。
【9歳〜10歳頃】
9歳から10歳ぐらいになると、ようやく現実的な観念が芽生え、死は永久的な生物学的プロセスと思われてくる。そしてしだいに 死を経験できないがうえに 無知識の境域の死というものを いつしか恐怖の目で見るようになる。
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キョンシーごっこ
子どもの頃 ”キョンシーごっこ”で遊んだ記憶がある。”キョンシー”とは中国古来の妖怪で、映画「霊幻道士」のブームと共に「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪人間ベム」を凌ぐ人気で一世を風靡した。”キョンシー”は漢字で「僵屍」。つまり”倒れた死体””硬直した死体”という意で、怨念を残して死んだり、間違った方法で埋葬された遺体が成仏できずに蘇ったものである。
”キョンシーごっこ”には、キョンシー役と霊幻道士役が必要で、たいていジャンケンで勝ったひとが正義のヒロイン役ができるというのが世の常であろうが、この場合そのかぎりではない。ジャンケンで負けたひとが霊幻道士役をする。
キョンシー最大の特徴、それは両腕を前に突き出し、両足を揃えたままピョンピョン跳ねながら前身する。これは先に述べたようにキョンシーは死後硬直した屍体であり、自由に関節を曲げ伸ばしできないところに起因する。(ある一説によると、両腕を前に突き出しているのは、バランスを保つためだとも言われている。)
一方、霊幻道士役には護符作成が課せられる。黄色の折り紙を縦に3当分したものに、鶏血を代用した絵の具(赤色)が用いられ筆で呪文を書く。呪文を書くのにしても決められた文句があるわけだから、それを真似て上手く書くにはセンスがいる。そして霊幻道士役の最大の苦行は「息を止めること」だ。なぜ息を止める必要があるかというと、キョンシーは吸血鬼であるため、人間の生血を好み、生きている人間を探し彷徨う。キョンシーには生きている人間の吐く”息”により、生きている人間を感知することができる。つまり、キョンシーに襲われないようにするには息を止めなければならないのだ。さもなくば、キョンシーの鋭い爪と牙により全身に毒がまわり、霊幻道士自身がキョンシーとなって人間の生血を求めるようになってしまう。
話しが脱線したが、”キョンシーごっこ”が流行った誘因には、子どもの死に対する好奇心から来るものであろう。つまり ”ちょっと恐いけど知りたい”という素直な気持ちと、死に馴染むことで恐怖をやわらげることができるのではないかという気持ちからきているのだろう。ソクラテスの”死は肉体と魂の単なる分離にすぎない”という哲学があるからとて、死の恐怖観念から解放されるわけではない。その点で”キョンシーごっこ”は無理なく死へ向き合っているようにおもえる。
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▼葬るということ
黄泉返り
死が恐怖であると受けられるようになった原因には 先程述べたように 死はどのようなものなのか経験不可能であるために 死を理解できず消化されるものもない状況が生まれる。そこにメディアによって生まれる勝手な死へのイメージだけが存在し死を恐怖なものとして目に映るのだろう(キョンシーとか)。さらに 死を恐怖なものに見せてしまう原因には 屍体の腐敗がある。屍体は時間の経過とともに硬直し(キョンシーとか)、腐り臭いを発するようになる。古代日本人はそれを「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という長い坂に例えた。その中の 日本神話に登場するイザナギ・イザナミ夫婦神の話しには、黄泉比良坂を下った妻イザナミに会いたくなったイザナギが黄泉に侵入する話しがある。イザナギは死後の世界にいた妻を一目見たとたん 恐怖に駆られて逃走してしまう。どんなに美しい肉体も 死ねば醜怪な腐肉に変わる。愛し合っていた妻の屍体さえ 生者には 魔物にしか目に映らないことを語っている。そしてイザナギは黄泉の入口に「千曳(ちびき)の岩」を立て 死んだ妻が「黄泉返る(よみがえる)」のを阻止た。死者を弔い そこに石を置き 腐敗した屍体の汚辱を阻止したのだ。
『餓鬼草子』より「疾行餓鬼」12世紀後半/東京国立博物館蔵
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葬儀の意味
葬儀というものは 単なる社会的な行いとしてあるだけでなく それよりもむしろ 「死」を受けとめ そこから自分の「生」をみつめ直すという再生の作業と言える。物理的には屍体を処理することであり また 精神的には「死」から教訓を得る作業なのだ。これがいちばんはじめに述べた「喪の仕事」である。
1.死を看取る
2.死を受け入れる
3.死者を送る
4.社会的な死の確認
5.遺体処理
6.喪の仕事(グリーフワーク)
『「お葬式」の学び方』碑文谷 創 より
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葬儀の種類
遺体処理には様々な方法がある。それは地域や文化、宗教によって違うが どこの地域にも共通して見られるのは 穴を掘って遺体を埋める「土葬」である。
「火葬」は現在大半を占める葬儀様式であろう。火葬場で約1時間半という瞬時にして 遺体は炭酸ガスと水に変わる。 炭酸ガスと水は 煙りとなって広範囲にまき散らされ 炭酸同化作用により植物に取り込まれ その植物はヒトの胃のなかに入るか それを食べた動物が胃のなかに入るかいずれかの方法でヒトに還ってくる。
火葬 |
仏教が火葬を推進するのにあって白骨化は成仏の徴とする。
ex:ヨーロッパでは死んだら先ず埋葬し、1〜3年経過して白骨化したのを確認して 改めて骨を洗って埋葬するという二重葬がある。
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土葬 |
キリスト教徒が復活の日に身体と共に蘇るとされたためや、
生まれ育った土に還ることによって子孫の守り神になるため。
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水葬 |
海に遺体を沈める。 |
風葬 |
自分たちの住処である里から離れた洞窟 山 野原に遺体を放ってきて白骨化を待つ。
山麓に屍体を置いてくるのは死者の霊が山の浄土に登るためとされたり、海岸の洞窟に置いてくるのは海の彼方の浄土に霊を運ぶためとされていた。 |
鳥葬 |
チベットなどで見られる遺体を鳥の餌にする。
鳥葬は鳥が霊を天上高く運んでくれると理解されていた。 |
犬葬 |
遺体を犬の餌にする。 |
散骨 |
最近人気だという、火葬した骨を砕いて灰状にしてこれを捲く。
火葬と風葬が一緒になった二重葬。 |
いずれの葬法にしろ、死を受け入れさせるためのシステムであり、屍体の腐敗による汚辱から逃れるためや 浄化・清めとして葬儀がある。
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▼いまどきの屍体
エンバーミング
それと、最近の技術で遺体を長期保存が可能なエンバーミングについて触れておこう。このエンバーミング、聞き覚えのないひとが多いとおもわれるが、実はこれは最近にはじまったことではない。金日成主席の御葬式をテレビで見た人は多いだろう。彼もおそらくこのエンバーミングされた後ガラスケースの中で温度を一定に保ち 保存状態をよくしていたといわれている。イギリスでは 貴族の館などで先祖や親族の遺体をエンバーミングし 一緒に暮らす風習があったという。エンバーミング すなわち 屍体を醜怪に腐敗させることなく保存する(遺体衛生保全)方法。腐らない屍体なら一緒に暮らしていける。そうしたら有名人の遺体をオークションにかける時代がもしかしたら来るかもしれないし 屍体しか愛せない人(屍体愛好家)対象の美男美女屍体ショップなるものもでてくるかもしれない。まあそれはいいとして このエンバーミングはアメリカやカナダでは九割を超すほど一般的に行われている手法で 消毒 防腐 復元 化粧の四つの機能をもつ。
遺体を水で洗浄し 全身消毒を行ったあと 頸動脈から防腐剤を中心とした薬品を注入し 頸静脈から血液を出し 血液と交換する。胸や腸などから体液や老廃物を取り出し 防腐剤を入れておく。目・耳・鼻といった開口部は閉じて 体内からの体液の流出を防ぐ。長期入院などで目などが落ち込んだところは生前の写真を基にして復元する。最後にまた消毒して 化粧を施す。エンバーミングを施した遺体は死後硬直もないので 通常どおりに着替えさせることが可能になる。やはり屍体愛好家にはもってこいの逸品と言ったところだろうか。
通常の二〜三時間程度のエンバーミング処理で二週間程度の保存は可能で ドライアイスを使う必要もない。ついでに腐臭もない。このエンバーミング技術は 徹底した処理を行えば一年の保存も楽であるし その後の処置を行えば レーニンの遺体のように永久保存も可能となる。
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プラスティネーション
そしてこれが更に進化たのが日本で展覧会をして話題になったプラスティネーションという技術である。
これはハイデルベルク大学医学部グンター・フォン・ハーゲンス博士(Dr.Gunther von Hagens)が発明した技術で、プラスティネーションとは肉体の組織に含まれる水と脂質を特殊なポリマー(シリコーン樹脂とか)に置き換え 硬下させた人体標本のことまたはその技術のことをいう。このプラスティネーションは 長年悩みの種であった標本のあらゆる保存問題を解決ることになった。無臭 壊れる心配が極めて少ない 携帯に便利 5mm程度のスライス標本が可能 柔軟で手触りがよい などなど画期的な新技術なのである!もっとプラスティネーションの作成手順を詳しく知りたいひとは『[図説]人体博物館』監収=養老猛司(筑摩書房)を参照あれ。このように遺体を永久保存の技術がさらに手軽に出来るようになったなら 屍体に馴染み 接する機会がこれからますます増え、それなりに問題が危惧されるであろう。
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自己標本
その先駆けとして、おまけにこんな話しも。
19世紀イギリスの功利主義哲学者ジェレミー・ベンサムというひとはロンドン大学医学部に命じ 自分の屍体から臓器を摘出させて「医学発展のために」献体した。ここまではいい話し。解剖学の用事が済むと こんどは自分の屍体をエンバーミングさせ 肖像画の代わりに「自己標本(オートアイコン)」に仕立てた。ベンサムは遺言した 「有名人の屍体は『自己標本』にして大学に飾り 後生の人々への教訓や激励として役立たせるべし。無名の人の屍体なら やはり『自己標本』にして 大理石彫刻の代わりに庭園や街路に置くべし。装飾になる。」
ちなみに ベンサム自身の「自己標本」は今もロンドン大学にあり 医学部の評議会には車椅子に乗せて議場に運び 議事に参加させていたという。
きれいな遺体が増えれば 屍体に対する不浄なイメージに変化が訪れるかもしれない。しかし 自分の屍体「自己標本」が こうしてのちのちの後世まで存在するのかと想像してみると 複雑な気持ちになる。自分の知らない他人から鼻の穴に画鋲を刺されるかと思うとすこし嫌だ。死後の心配までしなければならないなんて、それこそ成仏できない。それに 時を刻むごとに「自己標本」の屍体が増えたらたまったものではない。置き場所に困るのは生者であろう。どうして生者が生きるためのスペースを屍体に占領されなければならないのだろう。やっぱりそう思うと、死ぬことも立派な自然の流れに思えてくる。
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▼その先へ
「死とはなにか」そこを見つめていくと「生とはなにか」が見えてくる。
「人の死に出合うということは 自分の小さな死を体験することだ」とある人が言った。
よりによって、淑死よ、
今になって生を見ることを教えてくれるとは、
それもベール越しにではなくはっきりとすべてを、
死に臨む今になって初めて私の存在が感じられる。
(ホーフマンスタール『痴人と死』)
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人生の中で人間関係が大きな比重を占めるとするとしたら 何らかのかたちで自分と関係した人の死は決して他人事とは思えない。なぜなら それは自分の「部分的な死」ということにも置き換えられるからだ。
わたしがまだ小さい頃、ペットの死骸を埋めた土の上から、異様な勢いで開花している花をみた。
死骸を埋めて数週間が経ったある日、ふと、少しの恐怖心と好奇心から、埋めた家庭菜園とも庭先ともいえる場所の一角へ見に行ってみた。一瞬、背筋がゾッとしたのを憶えている。埋めた場所の上だけが異様に雑草の成育が良いのだ。それら雑草のなかには ぺんぺん草の白い小さな花が咲いていた。
彼は横たわっていた 彼のそこに置かれた顔は
うず高い枕の中で 蒼白く ものを拒んでいた
それ以来 世界は また世界についてのその認識は
彼の感覚から引きはがされ
冷ややかな歳月にまた戻っていったのだった
生ける彼を見た者も知らなかった
どんなに彼があらゆるこれらの世界と一つになっていたかを
なぜなら これらの谷 これらの牧場
これらの河は彼の顔であったのだから
ああ 彼の顔はこれらの全体の広い世界だった
それはいまなお彼のところを欲し 彼を求めている
そしていまおびえつつ死んでゆく彼のマスクは
柔らかで 開いているのだ まるで大気にふくれてくちる
果実の内側のように
(「詩人の死」ライナー・マリア・リルケ
/世界の詩集『リルケ詩集』富士川英郎訳/角川書店)
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生命がこの地球上に生まれ そして死に、そして次の世代へと受け継がれていく。
自分だけがそうなのではなく、すべてのひとがそうやってすべての人生が始まり、すべての人生が終わった。
命の代償をしっかり受け入れ、生への原動力に変えなければならない。
▼参考文献
『図解人体博物館』監修=養老猛司 1995 筑摩書房
人体保存の歴史やプラスティネーションの写真が豊富でおもしろい。後半にプラスティネーションの作製手順が笑えるほど詳しく掲載。材料の種類に応じてのコツも載っており、さながら美術解剖学を専攻している学生の教科書のよう。
『死の本』1998 光琳社出版
装丁も美しいことながら、図版(監修は小池寿子)もすこぶるよい。荒俣宏、小阪修平、京極夏彦、宮本啓一、石堂藍、田沼靖一らが、文化人類学、哲学、文学、宗教学、図像学、神話、科学の視点から死をみる。死にまつわる言葉や死にまつわる本ガイド集なども記載もうれしい。
『imago 死の心理学』1994 青土社
タイトルのとおり、心理学的視点から。「対象喪失と投影性同一視」衣笠隆幸、「脳から見た墓」齋藤磐根が参考になった。「屍体ごっこ」澤野雅樹ではエピクロスの唱える「死=感覚の欠如」の定義の説明に、カート・コバーンやバロウズ、ビョークを引用している。
『図解 検死解剖マニュアル』佐久間 哲 1998 同文書院
ちょっと背筋がぶるっとくるほど、実例を用いて詳しい検死内容を記載。屍体の腐敗状況などについて事細かに書かれており、これこそ死の恐怖観念が増大する一冊。普段の生活において参考になる機会はない。
『「お葬式」の学び方』碑文谷 創 1994 講談社
死の受けとめ方、葬儀のあり方を問う。葬儀の意味や現代葬儀事情について。人間社会学的視点から。
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